社団法人 倉敷観光コンベンションビューロー


 
鶴形山のすそ野に開けた美観地区は、倉敷の歴史の原点であり、町並みはほぼ江戸時代と変わらない遺構を今日に伝えている。およそ400年以前はあたり一帯は海であり、鶴形山は「内亀島」とか「東亀島」と呼ばれた漁村であり、海運によって発達した村であった。 その後、倉敷は備中松山城の玄関港として、備中国の幕府支配地からの米や物資の集散地となり,水夫屋敷や船蔵屋敷が免税地とされるなどの保護をうけ、町は形づくられ栄えて来た。これらの町並みは、おおむね次のような経緯で保存が進められた。
昭和20年代
「倉敷を日本のローテンブルグにしよう」と町並み保存を最初に提唱した先覚者は、クラレ社長の故・大原総一郎。昭和13年(1938)ドイツに留学中、中世の古典的な町並みを残すローテンブルグ市に魅せられたが、第2次世界大戦で焼失した。ところが、その後見事に元の町並みに復元し、町の歴史を日常生活に生かしていることに大きな感動を覚えた。戦災をまぬがれた倉敷の町並みも,文化的な遺産として後世に残すべきことを倉敷市出身の建築家浦辺鎮太郎らに提唱し,訴えられた。 
昭和21年6月
大原総一郎が招いた柳宗悦(やなぎ・むねよし)の指導で岡山県民芸協会が設立される
昭和23年1月27日付山陽新聞
県民芸協会の外村吉之介は,倉敷の蔵造り民家を「観光風致地区」に指定するよう全国へ紹介にのり出す。民芸という視点から町並み保存を訴えた。
○倉敷の民家利用第1号は,倉敷民芸館で昭和23年11月開館、第2号は倉敷考古館で昭和25年11月開館
昭和24年1月
倉敷町並み保存の第1回座談会が倉敷民芸館長外村吉之助ら地元の有識者によって開かれる。この、「倉敷都市美協会」が発足す。地域住民(有志)による町並み保存運動団体としては全国初
昭和24年10月号「朝日カメラ」
イギリス海軍大佐ジェームズ・エイ・ダウンズが撮った倉敷の町屋写真が掲載され,地域の人たちも認識しだす。
昭和25年2月
イギリスの詩人エドマンド・ブランデンは倉敷民芸館にて「瞥見(べっけん)」という詩で倉屋敷の情景を詠む。
昭和29年(1954)
アサヒ写真ブック「倉敷うちそと」1冊の写真本として全国に倉敷の町並みが初めて紹介される。
昭和29年
文化庁の調査依頼を受け,工学院大学元学長で建築家の伊藤ていじ先生(当時東京大学在籍)は民家調査にはいる。「私は倉敷が好き」だから高山・萩・倉敷の3市から倉敷を選んだという。以来今日まで倉敷の町並み保存に大きな貢献をされている。国の文化財保護委員もされ,昭和54年(1971)の伝統的建造物郡保存地区選定に尽力される。『くらしきまちや賞』は平成5年先生の提唱で創設する。
昭和43年9月30日
倉敷市伝統美観保存条例制定す。「美観地区」の名称生まれる。
昭和44年11月
条例に基づき伝統美観保存計画を策定し,告示す。
昭和53年9月20日
倉敷市伝統的建造物郡保存地区保存条例を制定す。
昭和54年2月2日
倉敷川畔伝統的建造物郡保存地区保存計画を策定し、告示す。
昭和54年5月
国の重要伝統的建造物郡保存地区に選定される。
昭和57年4月1日
倉敷市伝統的建造物郡保存地区における倉敷市市税条例の特例を定める条例を制定す。
伝建保存地区の税の減免をす。
平成2年6月22日
倉敷市倉敷川畔伝統的建造物郡保存地区背景保全条例を制定す。美観地区の背景地区の建築物の高さを制限す。以上,伝建保存地区や伝統美観地区の歴史的な景観を将来に至るまで良好に継承するため、条例の制定や「くらしきまちや賞」を制度化,地区内の建物の修理等に対し補助金を交付するなど,町並保存に手厚い取り組みが行われている。
 
       ■倉敷美観地区  : 21.0ha (約500棟)
                 内  : 伝建保存地区   15.0ha  (71%)
                    その他美観地区  6.0ha  (29%)
       ■くらしきまちや賞 :美観地区の歴史的景観は、先人たちの熱意と努力によって今日まで引き継が
                    れている。この文化遺産をさらに後世に伝えていくため、さまざまな努力をされ
                    ている方々に対して末永く私たちの模範とするために設けられた賞である。
                    表彰式は受賞者の方のお宅にお伺いし、表彰メダルと表彰状が手渡される
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