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939
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天慶 2
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藤原純友(すみとも)、瀬戸内海で乱を起こす |
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1086
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応徳 3
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浅原安養寺裏山から出土した瓦経(がきょう)の願文に年号があった |
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1183
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寿永 2
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源平の水島合戦があった(平氏が勝った唯一の戦い) |
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1184
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寿永 3
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源平の藤戸合戦があった(源氏が勝った) |
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1221
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承久 3
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承久の変で後鳥羽上皇の皇子冷泉宮頼仁親王、児島に流される |
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1336
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延元 元
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福山合戦があった(足利直義が大井田氏経の福山城を攻略す) |
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1550
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天文19
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このころ玉島湊(みなと)と備中松山(高梁市)間の舟運が開かれる |
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1582
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天正10
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羽柴(豊臣)秀吉による備中高松城(岡山市)の水攻めがあった |
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1584
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天正12
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宇喜田秀家の家老岡豊前守利勝は千原勝則に命じ、酒津から汐止め堤防を築かせ、倉敷村などの鶴形山周辺から早島にいたる新田を開いた |
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1585
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天正13
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岡豊前守利勝、八ヶ郷(ごう)用水を開設する(浜・子位庄・東阿知・三田・西之庄・五日市・早島の八ヶ村) |
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1600
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慶長 5
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関ヶ原の戦後、備中国奉行として小堀正次が備中松山城に在任す |
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1601
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慶長 6
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倉敷村の水夫(かこ)屋敷が年貢を免除される *岡山城主小早川秀秋の家臣平岡石見(いわみ)が下津井城に入る |
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1614
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慶長19
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大阪冬の陣があり、小堀政一(遠州=えんしゅう)は徳川家康の命により兵糧米(ひょうろうまい)を倉敷から海上輸送する |
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1639
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寛永16
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下津井城が廃城となり、池田由成(よしなり)は天城陣屋に移る |
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1642
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寛永19
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倉敷村は幕府直轄の天領となり、備中代官として米倉平太夫重種が初代代官として任ぜられる
*水谷勝隆(みずのや・かつたか)が成羽から備中松山城主となり、柏島・乙島・黒崎などの村を支配する |
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1643
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寛永20
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松山藩が玉島湊問屋の手形を発給する |
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1646
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正保 3
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四国の塩飽(しわく)と岡山藩領下津井四ヶ浦との間で海の境界論争が起こり釜島(かましま)・松島・六口島(むくちしま)は岡山藩領となる
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1652
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承応 元
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高梁川河口から新見(新見市)にいたる高瀬舟の航路が全通す |
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1658
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万治 元
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山崎豊治が成羽藩主となり、連島(つらじま)の矢柄・西之浦を領有す*大江(おおえ)・茂浦(もうら)・江長(えなが)は倉敷代官支配地となる |
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1659
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万治 2
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松山藩主水谷勝隆、玉島湊を築き高瀬通しの工事をはじめる |
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1681
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天和 元
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倉敷村戸数375戸、人口5,392人。この年春の飢饉あり、村内の餓え人541人 |
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1682
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天和 2
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倉敷代官、倉敷村に初めて船運上(うんじょう=税)を課す(積み高100石につき、1か年銀20匁) |
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1697
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元禄10
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丹波亀山(現京都府亀岡市)城主井上正岑(まさみね=のち老中)が備中国都宇(つう)郡・窪屋(くぼや)郡の二郡を領有す |
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1702
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元禄15
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高瀬舟の通行に支障ありと、高梁川の取水をめぐって訴訟あり、江戸評定所の裁決がある。原告=玉島・船穂村・乙島など11か村:被告=西阿知・西原・水江の3か村(慣例を尊重し、関係の村総出で川底土砂をさらえよとの裁決) |
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1717
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享保 2
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東高梁川河口の福田古新田の開発をめぐって、上流の備中国倉敷・西阿知・酒津・中島など18か村は反対し、備前国児島郡の福田・浦田・広江など5か村と大庄屋を江戸評定所へ訴える(6か年の争いの後、開発できる) |
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1721
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享保 6
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東高梁川の堤防が決壊(けっかい)し、倉敷村一帯は大洪水となる |
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1729
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享保14
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風水害により、倉敷村は6割の免税(めんぜい)となる |
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1735
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享保20
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東高梁川が決壊し、倉敷村全域浸水、稲作は虫害と重なり不作 |
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1738
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元文 3
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東高梁川の堤防が決壊し、倉敷村一帯は浸水10日間におよぶ |
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1746
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延亭 3
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倉敷代官千種清右衛門(ちぐさ・せいうえもん)、倉敷陣屋を建設す |
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1759
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宝暦 9
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倉敷・玉島において操り綿問屋の運上が始まる |
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1769
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明和 6
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岡雲臥(うんが)らの発起で村の有力者74人で倉敷義倉を設立す |
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1779
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安永 8
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僧良寛、玉島円通寺に来て、国仙和尚について修行にはいる |
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1789
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天明 9
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大雨で西高梁川が決壊し、玉島一帯が浸水、玉島港水門も破壊す |
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1824
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文政 7
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倉敷村古禄と新禄の争いで江戸訴訟となる |
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1828
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文政11
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新禄・新禄の争いの結果、村役人を入札(いれふだ=選挙)で選ぶことになる |
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1836
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天保 7
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天候不順、高梁川洪水、作物大被害、物価高騰、大飢饉となる |
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1848
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嘉永 元
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岡山藩が汲五平(きゅうごへい)に代えて野崎武左衛門、福田新開の開発を命じる〔1847(弘化4)年汲五平が着工〜1852年(嘉永5)年完成〕 |
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1850
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嘉永 3
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東高梁川の堤防が決壊し、倉敷村から帯江・早島一帯が大洪水となる |
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1866
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慶応 2
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倉敷浅尾騒動起こる。長州第二奇兵隊を脱走した立石孫一郎ら150人は倉敷代官陣屋を焼き払い、総社の浅尾藩陣屋を襲撃す |
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1868
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慶応 4
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倉敷代官所を没収、高梁川以東は備前藩(岡山)、以西は安芸藩(広島)が管理する
*松山藩士熊田 恰(あたか)の一隊150余人は、玉島港にて備前藩兵に取り囲まれる。熊田は部下の命を助けることを条件に切腹す *倉敷村は備前藩の鎮撫が解かれ、倉敷県役所を置く。倉敷県知事に内海多 次郎(静岡藩士)が任命される *
9月8日明治と改元される |
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1870
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明治 3
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倉敷県役所を倉敷県庁と改称す |
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1871
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明治 4
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倉敷県・福山県などを廃止し、備中と備後6郡を深津(ふかつ)県とす |
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1872
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明治 5
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深津県を小田(おだ)県と改称す |
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1875
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明治 8
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小田県が岡山県に合併す *警察屯所(とんしょ)を倉敷に置く |
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1877
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明治10
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衣笠豪谷(きぬがさ・ごうこく=画家・農林官僚)が中国の清国(しんこく)から水蜜桃(すいみつとう)の種を持ち帰り植樹す(日本最初) |
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1878
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明治11
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茶屋町の磯崎眠亀(いそざき・みんき)、い草の花莚織機(かえんしょっき)を発明す。その製品を錦莞莚(きんかんえん)と命名す |
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1879
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明治12
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児島の渾大坊埃二(こんだいぼう・あいじ)、玉島の難波二郎三郎(なんば・しろさぶろう)が紡績機械の払い下げを内務省に出願す |
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1880
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明治13
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渾大坊埃二が児島に下村紡績所を開設す |
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1881
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明治14
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難波二郎三郎ら乙島に玉島紡績所を開設す |
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1882
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明治15
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倉敷川に岡山までの旅客船の航海業「偕力社」が開業す *玉島の沙美(さみ)海水浴場が県下で初めて開場す |
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1884
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明治17
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暴風雨による大津波が発生し、福田、乙島、勇崎など各村は大被害となる
死者行方不明者655人の内ほとんどが福田新開における犠牲者のため、福田村では供養の千人塚(せんにんづか)を建立す |
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1888
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明治21
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大原幸四郎ら倉敷紡績所を設立す |
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1891
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明治24
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倉敷郵便局が電信を開始、倉敷郵便電信局となる *倉敷村が倉敷町として町制を施行す *
岡山・笠岡間に山陽鉄道が開通す |
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1902
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明治35
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大原孫三郎ら倉敷日曜講演会を始める |
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1909
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明治42
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倉敷電灯株式会社が設立す |
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1910
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明治43
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明治天皇が陸軍大演習のため西岡山御野立所へ来られる |
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1911
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明治44
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国が高梁川改修工事事務所を設置し、着工す(大正14年完成) |
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1913
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大正 2
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下津井軽便鉄道が児島味野と茶屋町間に開通す |
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1916
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大正 5
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高梁川東西用水組合を都窪・浅口・児島郡の関係市町村で設立す |
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1918
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大正 7
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米価が暴騰(ぼうとう)し、米騒動が起きる(岡山・倉敷・玉島に波及) |
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1921
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大正10
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児島虎次郎収集の西洋名画展を倉敷小学校で初めて開く *倉敷から伯備線を起工す(昭和3年に米子までに全線開通) |
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1923
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大正12
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倉敷酒津上水道が完成し、翌年から倉敷町へ通水す |
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1926
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大正15
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原澄治、倉敷天文台を創設す |
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昭和 元
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霞橋(かすみばし)の建設に着工す(鉄橋=611m、完成は昭和3年) |
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1927
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昭和 2
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鶴形山トンネルが開通す(105m) |
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1928
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昭和 3
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倉敷町が倉敷市として、市政を施行す |
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1930
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昭和 5
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大原美術館が開館す |
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1931
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昭和 6
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塩飽騒動(しわくそうどう)がある。下津井漁民と香川県漁民争い |
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1940
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昭和15
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国道2号線が倉敷まで開通す |
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1941
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昭和16
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海軍の命により三菱重工業は水島航空機製作所建設に着工す(昭和18年完成、19年に第1号機が飛び立つ) *東高梁川の廃川地に水島市街地が造成される・水島鉄道を開通す |
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1945
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昭和20
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水島航空機製作所が爆撃され、壊滅状態になる |
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1948
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昭和23
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児島町が児島市として、市政を施行す *水島鉄道が一般乗客の利用に営業開始す(ピーポーと呼ばれた) *倉敷絹織鰍ェ日本で最初にビニロン工業化試験設備を完成さす(昭和25 年生産開始) |
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1949
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昭和24
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倉敷市営球場が完成す |
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1950
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昭和25
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岡山県南部上水道組合が設立す(旧三菱の水道を買収し開始) *水島に警察予備隊(自衛隊)が駐屯(ちゅうとん)す(昭和32年閉鎖) |
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1951
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昭和26
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水島鉄道を倉敷市が買収す |
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1952
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昭和27
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玉島町が玉島市として、市政を施行す |
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1955
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昭和30
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水島に工場勧誘致第1号として日本興油 |
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1958
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昭和33
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三菱石油水島工場を誘致す |
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1959
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昭和34
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日本鉱業水島製油所を誘致す |
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1960
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昭和35
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水島港に初の外国船(プリンスダル号)が入港す |
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1961
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昭和36
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川崎製鉄水島製鉄所を誘致す |
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1963
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昭和38
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国道2号線バイパスに着工す |
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1964
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昭和39
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岡山県南地区が新産業都市に指定される |
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1967
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昭和42
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新しい倉敷市が発足(倉敷・児島・玉島の旧3市が対等合併) |